隣のしばふがあおく見えたら読むブログ

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3人の娘を育てる母です。シンガポール駐在を経て日本→パリと移動中。対話力をあげ、子どももわたしもわくわく過ごせるよう模索中。

お習字をするのはなぜだろう

Twitterにこんな言葉があった。

 

かけざん社会 時々 学級経営 on Twitter: "あなたは昨日紙に字を書きましたか?今や契約書ですらタブレットにサインする時代。パソコン入力やタブレットに字を書くことは求められても紙に字を書くことはなかなか求められません。時代が変われば求められる力は変わる。我々は子どもたちが大人になる頃の未来を予測しながら教育せねばなりません" / Twitter

 

確かに。

あまり書くことはないのかも。

そんな今日は、子どもたちを集めてのお習字の日。

最近ちょっとモチベーション下がってきているのを感じるので、振り返り表を作ってみた。

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お習字の時間がくれるもの

わたし自身、筆で書く時間は嫌いじゃなかった。小3から中1ぐらいまでゆるーくやっていました。※ちなみに、パリでお習字してるのは、書が上手いわけでなく、「教える」というノウハウがあるから教えてるだけ。

 

書く必要がなくなった今、習字をするのはなぜだろう。

わたしが今、持っているのはこんな感じ。

・筆や鉛筆を思い通りに動かす、感覚を知る。

思い通りになかなか動かないんだよね。

どうしたら動くのかな?って考えるのも大切な過程。

・筆が滑らかに滑っていく感覚を楽しむ。

流れる感覚、筆を止める感覚、筆先に意識を向けているこの時間を楽しむ。

・文字の美しさに触れる

お手本なしで自分の文字を書くときにも行かせるようになってほしいけど、それには時間や練習の回数が必要。

・読みやすい字が書けることを目指す

どんな字が読みやすく感じるのかを知る。そして練習する。

・集中する時間を作り出す

 

集中する時間の大切さ

子どもたちって集中したらなーんにも聞こえなくなるよね。

モンテッソーリはこの「集中している時間」を大切にしていたそう。

やらされている時間ではなく、自分の意識がぜーんぶ、今やっていることに向いている。

そこで起こったことを、教育者が観察し、次はこんな活動出来そうだと構想できるんだと思う。

 

習字ではこの時間を作ってほしいなと思っている。

無理矢理、「もっとうまくならなきゃ!!」とかよりも、「なんか分かんないけどすっごく集中して楽しかった」みたいな感覚があるといいなー。

ゲームやオンラインのものごと以外にも、

指先や体を使うことで養われる感覚も育てたい。

(あ、ゲームは指先使うのかも)

 

まとめ

そんなわけで、今日もたった1時間の時間に、あれもこれも感じてほしいと思ってる自分がいるけども、

結局は、まあ楽しんでくれたらいいな!っていう、ゆるーい感じです。