教育の現場では、よく「主体的」という言葉が使われる。
主体的な学び
主体的な態度
それって、具体的にどんな様子なんだろう?
主体的と自主的
主体的と自主的を比較して考えているサイトをいくつか見つけた。
「自主的」は他者からの指示がなくても、率先してやるべきことに着手する態度のことです。一方、「主体的」は、自らの意志や判断に基づいて、自らの責任のもとで行動しようとする態度のことです。
主体的と自主的な違いをまとめると、
・自ら目標を決めているか否か
・自分の行動の責任までもっているか否か
自主的な方は、自分からは動くけども、目標は他人からの指示であったり、ゴールが設定されている。
主体的は、自分で目標を設定し、それに向かっての行動を決め、その過程・結果で起こること全てに責任を持とうとする。
7つの習慣のひとつめは「主体性を発揮する」
『主体』という言葉は、『7つの習慣』の本でも見た。
ステップ1「主体性を発揮する」
主体性を発揮していくことが、
人格を形成していくための第一歩だと述べていた。
人格ってなんだ?という疑問も出てくるけども、教育基本法の中にも「人格」という言葉が出てくるので、
日本人が大切にしてきた概念と被るところもありそうだ。
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
あ、でも昭和22年のときには、「自主的」という言葉が使われているなー。
目標を設定してみる
主体的に生きる第一として、
目標を設定することを、してみる。
目標を書いてみると、もしかしたら、
他の人に責任を押し付ける内容になっているかもしれない。
やっていく途中で、こんなの無理だー!となるかもしれないし、忘れてしまうかもしれない。
そしたら、それは、「まだ、その目標に対して、主体的ではないんだな」ということになる。
自分で責任をとるという意識が、あるかいなか。
どんなことが起こっても、
なんらかの形で、どうにかこうにか続けていく目標を見つけていく。
これを目標にしてもいいぐらい、結構ロングジャーニー。
ところで責任とは?
責任ってなんだろう?7つの習慣の中で、
責任とは「自分の反応を選択する能力のことである」と定義されていた。
英語で考えると、責任(responsibility)は反応(response)と能力(ability)が合わさったものであるところから来ている。
周りから、どんな刺激があろうとも、
自分がどんな反応をするのかは、自分が決めるという能力のこと。
子どもが「主体的に学ぶ」とは?
小学校での「主体的」に話を戻す。
子どもたちにも、自主的に学ぶよりも、主体的に学んでほしい。
教員は、そんな場作りに、日々奮闘している。
子どもたちが主体的に学ぶためには、
「目標を自分で決める」
「学ぶ中で、行動を自分で決め、その結果を自分ごととして受け止め、次に活かす」
この2つが必要となる。
先生が言ったからー、〇〇のせいでー、
などの発言が出る時は、まだ自主的止まりなんだと判断できる。
なお、「主体性」については各所により様々な定義がなされているが、心理学における主体性を測る尺度(注3)としては、「自己表現」・「積極的な行動」・「自己決定力」等に代表されることから、本稿では以下を「主体性がある」状態として定義することとしたい(資料1)。
集団の中で、自分を活かしていくためにも、
主体的な行動、責任ある行動とはどんなものなのか、考えておくことは必要だ。
あとは、仕組み作りと自分の在り方。
大人も、主体的に生きる
主体的にいた方が、長期的にみて、
たぶん楽しい。
「あの人のせいでこうなった」という発言をしながら生きるより、
「こんなとき、困ったけど、なんとかなった!わたし、大丈夫だ!」と思いながらいた方が、機嫌がよくいられる。
ヒトに指示されて、ヒトのせいにしていると、
いずれ不機嫌の無限ループがやってくる。
まとめ
反応をコントロールすることは、
全てにおいて出来ることではないかもしれない。
ましてや子どもたちには、
わたしは出来れば、喜怒哀楽をはっきり持って、天真爛漫にいて欲しいと思っている。
あ、天真爛漫ってどういう意味だろう?
まとめてみたい言葉がまたまたまた増えた。