隣のしばふがあおく見えたら読むブログ

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3人の娘を育てる母です。シンガポール駐在を経て日本→パリと移動中。対話力をあげ、子どももわたしもわくわく過ごせるよう模索中。

評価を感じる場面

子どもたちが通知表を持って帰ってきた。

通知表をつけていたからわかるんだけど、

半年間を評価するって難しいんだよな。

全部Aだからその子が完璧なのかというと、もちろん伸び代たくさんあるし、

でもそもそも

こどもたちの伸びしろっていろんなところにあるんだから、それを見える化するってさー。

 

ひとりひとり、頑張ったんだから

頑張ってなかったらcだけど、頑張ってない子なんて、実はひとりもいないからなー。

 

そんなことを考えていたので、

親になっても、あんまり活用出来ない通知表。

 

無事4ヶ月間学校に行って、まがりなりにも出来ることがめちゃめちゃ増えた。

そのことを子ども自身が認識する機会になるよう声はかける。

 

そして、こんな無理難題な評価をしてくださっている先生方、ありがとうございます。

 

その他、自分が評価させてると感じた場面

Twitterにどのくらいの人が見たのかが出るようになった(左下)

 

・duolingo内でランキング

 

・コーチのランクづけ

 

・働いていたときのお給料

 

・友だちに誘われるか誘われないか

 

・子どもたちが笑顔がどうか

 

 

自分の評価として受け止めず、ただ現在地を知るものとして受け止めたい。

それでも、自分の評価がほしくなる。

私の中の「認めてほしい、分かってほしい」がむくむくむくむく。

そんな時は、自分をもっとひろく客観的にみてあげるためにも、

ちょっと疲れを癒すといい。

 

それから、自分の気持ちを吐き出して、

それから、もっといろんな分野や角度に目を向ける。

 

 

数字はパワフルだからこそ、効果的に使う。

ランク分けは、わかりやすいからこそ、モチベーションになりやすい。

 

一番自分が自分を評価しているだろうから、

それをいかに知っておくか。

その評価は、自分が今のこの先もハッピーでいられる評価なのか?

 

そして、伴走する覚悟で、評価を。

 

まとめ

そんなこんなで、我が子たちのことも日々ジャッジして背中を押してたり、駆け引きしたりしています。

それは、自分と相手の今と未来のハッピーに繋がっているのかな。

自分がどんな言葉を使ってるのか、気をつけてみよう。

 

そして、その前に、評価を

自分を批判するために使い始めたら、お疲れサイン点灯中だよー、ということに気づいてあげよう。