シンガポールの床は大理石です。
落としたものは日本では考えられないぐらい木端微塵にこなごなになり散らばります。
昨日、4歳の子が使っていた陶器のコップを落として割りました。そのあと、水風船も割り(これは噛んだから)、両方とも大泣きしていました。
これは、「もの」の大事さに触れるいい機会なのではと思い、まとめてみます。
なくなった瞬間のショック
コップ、ヨーヨーが割れた瞬間、子どもは大泣きしていました。
「だいじょうぶだよー」と声をかけた後も泣いてたので、「なんでないてんのー?」って聞いてみました。でも本人もよく分からなかったみたい。
ただ、「われてしまった!」ということがショックだったんだなぁと思われます。
気に入ってたんだなと思うと同時に、雑な扱いしてたよね?とつっこみたくなる。子どもだから力加減分からないよね。
今まで使っていたものが使えなくなる
次に使う時に、コップがないと水が飲めない。とはいえ、コップは予備がいくつかあるので、子どもはそれを使いました。大きさもほぼほぼ一緒。
子どもが困ったのは水風船のヨーヨー。シンガポールにはおいそれとは置いていない代物。
「ふうせんほしいよー」と再び大泣きしながら寝ました。
新しい出会いがまっている
泣いている時に、子どもとすこし話しました。(あまりにうるさいのもあり)
自分のコップやヨーヨーの扱い方はどうだったのか。やさしく扱えてたか。
実際、コップを落としたときには、癇癪をおこしてきーってなっている時に手が当たったのです。
そこを考えて、次に、「そのうちコップを買いにいこう。ヨーヨーは夏祭りでまた取ろうね。次は大事に使おうね。」と話しました。
日々、自分の好きなものに囲まれて生活したい
なかなかものを捨てられない私。だから壊れるのは悲しいけど、ものが減ってうれしい。もしくは次何買うか考える時間が好き。優柔不断で決められないけど、ないならないでどうにかなるんならそれでいい。
自分のセンスの無さを嘆くより、何かおっかなーって考える楽しい時間を大切に。
ちょっとずつ好きなもの増やしていこう。
子どもにもそろそろ自分で選ばせるということを経験させていきたいです。
そういう意味では、こなごなに砕け散る大理石も諦めがついて悪くない。
まとめ
大事に愛着を持ちつつ過ごすために、扱い方を教えること。
選ぶ経験をさせ、愛着あるものと出会えるようにすること。
あわただしい中でも忘れないようにしたいです。